江戸家猫八・小猫親子も怒っちゃって下さい

 人材派遣のCM。明日100人必要だ・・・って、元気が出るテレビの100人隊とかイナバ物置の会社以外にあるのかしら。ってか、イナバ物置は社長が乗って総勢100人だから99人でいいのか(笑)


 昨日のブログ、少なからず反省している。一寸気を抜くと社会派みたいなことを書いてしまう自分の不甲斐無さ。“うんこぶりぶり〜”がボクのブログ上のスタンスの筈なのに。あと、○違い呼ばわりはマズいと思った。第39条が適用されてしまう。

 ってか、よく考えたらタヒチって仏領だから日本の刑法の基準は関係ないか。取り敢えず仏法に恐らく抵触してるワケでしょ。住んでるとこから視たら海外メディアである日本の新聞とはいえ、犯罪行為を堂々と発表しちゃうところだけ考えたら、あびる優と変わらない。

 というワケで、反省できないのもボクの持ち味なので今日も少しだけ、また違った(しかも穿った)角度から考えてみる。

 生命倫理云々に踏み込んで行くと底なし沼の堂々巡り(勿論それでも巡って巡って真理に近づこうとする姿勢や議論は大事だが)だし、そういうのは他所でいっぱい視たからここは視点を変えてみる。つまり、仔猫に対する行為そのものではなく、そこから派生した問題というか社会的地位に相応しい対応なのかという切り口。昨日のブログでは
①:およそ一般的に考えて公序良俗に反すると思われる文章を大新聞に発表する(いや、東スポだってダメか)、文壇に地位ある(らしい)作家の見識
②:更にそれを掲載した社会的に地位ある(らしい)新聞(仮令東スポでもダメです)の品性
 について述べた。で、今日は
③:狙いと効果
 について。なんだけど、作家側についてはパス。サイコパス(自主規制できてねぇしw)。正直ボクのアタマじゃ無理だ。“どうやったらメリットやエクスキューズの成立に結びつくか”というのが、ボクが事象の裏の狙いを読み解く時の思考に於ける基本姿勢なのだが、あのような破綻した文章からは何も読みとれやしませんので。

 では、新聞社側としてはどうだろう。これについては、関係者全員が作家と同じ思考回路だったので誰も違和感を感じずに掲載に至ったというケース以外にも色々と考えられなくも、ない。

 先ずは歪んだ組織の縮図の表れ。担当者がこれはマズいと気づいたとする。しかし、担当者個人ではどうにもならないとなれば、内容については作家性ということで責任転嫁できると考え、組織の歯車と割り切って歯車レヴェルの仕事として原稿をそのまま通した(というか以前にもこの作家が仔犬を“始末した”というエッセイを掲載しており、たまたまその時は大きな問題にならなかったので今回も担当者に危機意識無しってセンが濃厚だろう)。

 また、上の人間もマズいんじゃないかと思ったとしても、やはり作家に責任転嫁すればいいと考える、或いは“いよいよ”となれば担当者を処断すればいいと思ってたり(意外と下の人間は上が責任とるだろうと思ってたり)して。

 最後は単なる愉快な邪推。インサイダー、不快感メモとスマッシュヒットを飛ばす新聞社の新たな一発説。勿論それら一連の狙いは、起きてしまった騒ぎからのミスディレクション。それにしても、箪笥の角に小指ぶつけて「“この痛み”から解放されるにはこれしかない!」とばかりに、違う指を切断しているかの如き稚拙で滑稽な感がある。

 いっそのこと開き直って
「鬼○作家、坂○先生の動物殺戮エッセイが読めるのは日○新聞だけ!」
なんてコピーで売ったらどうかしら。

 また、アニメ誌なんかの「実写化するなら?」みたいな誌上アンケートなんかで、(いや、他に向いてる人いるだろ?という人材を押しのけて)必ずその時旬なアイドルがランクインするが如く、今なら件のハンケチ王子に
「とてもひどいと思います」
なんてコメントの一言でも取り付ければ世論は簡単に煽動できるってモンだ。

 ともあれ、取り敢えずテレビの方も食いついてきたみたいだから、或る意味では日○側の狙いは成功したと言えるのかな。


 しかし、今日は今日でアレですね。K.O.100貨店で日傘による牙突・零式の狂鬼人間とか、しかもこっちはリアル第39条コースっぽいし。う〜ん。。。