俺がまだ死ねない理由

 出社したらアマゾンさんからロバート・フリップ翁の新作(?)『エクスポージャー 完全版』が届いていた。数ヶ月前にテクノ&プログレの大家である空手さん(id:karatte)のブログで、26年振りに(!)フリップ翁自らの手でリマスタリングされて“完全版”としての発売されると知り速攻で予約するも、数回の発売延期を経ての到着である。長かった。しかし、些細なことだ。

 キング・クリムゾンをはじめ、ロバート・フリップという人の音楽には同時代性が全くと言っていい程無い。感じるのは、常に途方も無い未来。FSSの1巻でクローソーはコーラスⅢ世に向って「マスター」と言うが、実際は三代先のコーラスⅥに向けられた言葉であったように。

 名曲は名曲故に、時を経ても名曲として輝き続けているものだが、それは往々にして大いなる蓋然でありながらも、一方でリスナー個人の人生に於いては結果論でしかない。そう、今を生きる我々にとっては。

 モーツァルトジョン・レノンが死んだ後も当然のように曲は残り、その後生まれたボクは極々当たり前に聴くことができている。実に幸福なことだ。何故なら、彼らが名曲を発表する前に生涯を終えてしまっていた人々は、彼らの曲はおろか存在すら知らないかも知れないのだから。

 フリップ翁の音楽は、誕生の瞬間から遥か別宇宙の彼方に在るとすら思える。生きている間に“取り敢えず”彼の音楽が聴けたという奇蹟には感謝したい。

 だがそれ以上に、生きている間に彼の音楽を“同時代的に実感”したいと思うことは贅沢を超えて、もはや禁忌タブーである。彼の音楽は未来人にとっても常に未来の音楽であり続けていくのだから。しかし、それでも少しでも近づくために聴き続けたい。

 因みに、そういうコトを考えている人間を一般的にプログレヴァカと言う。

エクスポージャー(完全版)(紙ジャケット仕様)

エクスポージャー(完全版)(紙ジャケット仕様)