ラジパラ買ってた頃が懐かしい

 知らないうちKAT-TUNに日出郎さんが加入してた!?と思ったらよく似てるけど別人だった、丸刈りのメンバー。ってか、KAT-TUNってメンバー全員苗字が“加藤”だと思ってたんだけど、違うらしい。

 日出郎さんといえば『天才・たけしの元気が出るTV!!』のオカマちゃんコーナーでのブレイクが有名だが、個人的にはシンガーとしてのデヴュー曲『燃えろバルセロナ』のインパクトが強烈。

 とはいえ、この曲は(確か)スペインのテクノグループChimo Bayo(チモ・バヨ)のカヴァーだったと記憶している。んで、チモ・バヨといえば『ecstasy』音韻重視で殆ど意味のないフレーズを連呼するだけの曲だった。でもかなりミニにタコ(by 田代)もとい、耳にタコができそうな曲。因みに原題は『As? me gusta a m?』

 この曲、そもそもケラ(現:ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんと犬山犬子(現:犬山イヌコ)さんがニッポン放送でひっそりやってた『ケラと犬子の四次元ラジヲテクノスケ』という番組でフィーチャーされてたのです。

 ネット黎明期に、機械オンチの二人が“ニフティーサーブ”だの“アイネット”だのと連呼するヘンテコテクノ番組。しかも本局のニッポン放送ではナイターで放送が潰れまくったという激レア番組。

 6局ネットぐらいだったと思うのだが、何故かFBC(福井放送)がこの中に入っており、当時高校生だった私はこの番組を全て(ニッポン放送がナイターで潰れても地方はオンエアされていたんだから、更に超激レア番組である)録音するという偉業を成し遂げている。録音したカセットはデジ化して家宝になっているコトは言うまでもない。

 福井なんてKing of ド田舎だから嫌で嫌で仕方なかったが、この時ばかりは嬉しく思ったものだ。今思うとFBCは妙にイイ感じのラジオ局だったかも知れない。オールナイトニッポンは2部も放送してくれてたし。

 また、ボクが大学生の頃に始まった、菅原祥子さん(“ときメモ”で虹野の声やってた人。ボクはPCエンジンでプレイしてハマってました。片桐派だったけど)の『祥子のチョットCHAT・CHAT』なんて、初期はFBCでしか聴けなかった(!)ワケで。

 当時滋賀にいた友人はこの放送を聴くためだけに、県境まで車を飛ばし、カーラジオで放送を聴いてはまた滋賀に帰っていくという週末を送っていたという。
「そこまでしてでも聴く価値あるから」
と言われ、ボクも帰省した際は必ず聴くようにしていたものだ。確かに、クスリでもやってるんじゃないかと思える程にヘンなテンションで喋り捲る菅原さんの放送は凄かった。

 勿論、薬物使用なんかしてないですが、当時まだド新人だった初々しさだけでは語れない面白さだった、と言っておく。因みに今調べたら、ネット局を拡大しつつ現在も放送中(500回を超えている)だとか。一寸した長寿番組じゃん!