平等不平等?否、運不運也

 M&AだかB&Bだか知らんが、要は私利私欲。もっと、無意味なコトはできないかね、と思う。学生の頃の夢は再春館製薬を買収することだった俺。

「社名を変えません」とかいうCMを視て、そんなに言うならいつか乗っ取って“ウンコ製薬”とかにしてやりてぇなと思ったのがキッカケ。どうだ、この無垢な欲望の素晴らしさ!


 個人が“国”を背負うというのは大変な事だと思う。国本武春國府田マリ子、国立玉一郎、三國連太郎、そしてヨーコ・ゼッターランド。取り敢えず頑張って欲しい。


 基本的にセンスレスな自分だが、とりわけ足りないのは笑いに関する部分だと思う。天然を認めないのは、或る種の天才に対する嫉妬なのかも知れない。

 では、どう闘うか。常識の成分を一部改竄するだけで優れた笑いが生まれるというのを知ることが大事だ。モンティ・パイソンの「親子間階級闘争」(http://d.hatena.ne.jp/STARLESS/20060124)等は非常に解り易いテキストだと思う。

 シリーウォークのようなヴィジュアルに訴える笑いもモンティ・パイソンの大きな魅力(確かに大好き)だが、こうした基本に忠実な笑いの完成度が極めて高いことも等閑にしてはならない。

 関係ないかも知れないが、街でリアル・シリーウォークの人を見かけた。ボクは不運な人だと思った、彼の身体的な問題にではなく。

 モンティ・パイソンのシリーウォークのスケッチ(コント)の世界観が現実だったとしたら、彼は(彼自身の他の才能の有無を度外視して)その歩き方だけでステイタスを得ることができるからだ。

 平安時代の“美女”の条件が現代では必ずしも通用しないように、世俗的な社会規範には意味を見出せない。仮令自分がそういう立場だったとしても、ボクの信念は揺るがないだろう。ボクはそういう物の考え方をしてきてしまったので。

 ただ、生まれてきた時代の瑣末な一過性の価値観が自分にとって損なのか得なのか、全ては運不運なのかも知れない。

 こんなことを書くと、些か暴論じみていると誤解を禁じ得ない懸念もなくはないが、偽善的な憐憫よりは幾らか平等思想を宿していると思っている。但し、極端な平等思想は限りなく冷徹なものである、とも思っているが。

空飛ぶモンティ・パイソン VOL.3 [DVD]

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