それでも、やはり彼を天才と呼ばねばならぬ理由

秋元康氏

 正午起床。会社休んで実家の手伝い。春物の商品の発注をするために都内某所にある同業他社の展示会へ。前々回(前回はボクの仕事の都合がつかなかったんで父がやった)に続いて2度目。実際、ボクが発注した商品は店頭での動きもなかなか良かったようなんで一安心。

 まぁ洋服に限らずバイイングなんてモンはそんなに難しくないんですよ。トレンドをある程度押さえているコトと、自分のセンスを客観的に認識できていれば出来ます。

 自分自身がお洒落である必要なんか、ホントは無いんです(販売する場合の説得力というのはまた別のハナシですから)。ボクの場合、自分が女だったらこういうのスキかもってのをまず“除外”していくと結果的に店頭で無難に売れる仕入れになっているみたい(笑)

 つーコトで、今日は営業じゃなくてバイヤーなんです、私。先方の担当営業や社長と適当に業界的世間話をした後、バイイング開始。年間数回の内の一回だし、ヤングの商品ってウチの主力じゃないから金額的には数百万程度。1時間くらいで終了。さて今回はどうなりますやら。


 帰宅中、船橋の某ラーメン屋で夕食。案の定客はオレ一人。ラーメンと餃子を喰うワケだが、いつも思うのは餃子の羽根。個人的には全く意義を見出せない。いつも通り箸でヴァリヴァリと羽根を除去。因みにこの時の脳内BGMは『翼の折れたエンジェル中村あゆみ


 平原綾香。なんか言い難い。ヒラハラアヤカ。ハ行が続くからかな。ハラホロヒレハレ(もはや死語?)的脱力感にも見舞われるし。歌は、まぁ普通。


 最近、男女を問わず会社の先輩数名から秋葉原へ行こうと誘われている。
「あたし、一度メイドカフェに入ってみたいのよね」
とか
「アキバのマニアックな店に行きたいんだよな」
とか。要はオレに案内係をしろというのだが、実際殆ど行ったことが無い(数年に1度程度)と言ったらガッカリされた。仕方ないじゃん。ってか事前リサーチで普通にオレより詳しくなってんじゃんよ。『秋葉48劇場』なんて知らんかったよ。

 そんな秋葉48劇場をプロデュースしているのは秋元康氏。我々世代はカリスマプロデューサーとして否応無く認識している仕掛人ですね。

 80年代後半から訪れたアイドル冬の時代。ボクは彼の活躍の場なんかこのままなくなってどんどん過去の人になって終わるんじゃないかとすら思っていたものだ。なんかやってたみたいだけど、何を今時と(当時は)思っていた。

 メジャーに於けるアイドルの定義が80年代前半迄のソレとは全く異なる解釈で歪曲して行く一方で、ひっそりと沸き起こった声優アイドルブームがあった。

 当時の声優アイドルというのは年齢的にも正道のアイドルからは大幅に乖離している方が多く。普通に考えたら“?”だったと思う。それでも声優アイドルの人気は衰えるばかりか着実に拡大していく。

 その背景には嘗ての“アイドル的”居場所を求めたファンの姿が少なからずあったと思う。某知人は冬の時代にあって尚、知名度こそB級ながら正道に近いアイドルに踏み止まったが、その廻りでは声優に傾く者も多かったと聞く。なるほど。

 しかしコレって古き良きアイドルという様式が死んでいないというコトなんだよね。エヴァンゲリオンが、(細分化され、棲み分けが出来てしまっていたと思われていた)色んなジャンルのオタクを上手に巻き込めればビッグビジネスになるという、究極のスキマ産業的ビジネスモデルで成功したようなモンですよ。

 だから、秋葉原という場所で陣を張ると聞いた時は感心してしまった。この着想は見事というしかない。己に付き纏う“オールドタイプのアイドル仕掛人”というレッテルを逆手にとったワケだ。世間に於ける自分を冷静に把握していなければ出来ない芸当だろう。自己を知った天才程怖いものはない。

 敢えて内容(システム)については調べていないが、もし仮に(流石におニャン子の単純な焼き直しは無いと思うが)乙女塾やTPD(東京パフォーマンスドール)や南少(南青山少女歌劇団)的なモノ(又はそのパクリ)に終始してしまったとしても、“秋元康が仕掛けた”という事実はアイドル史に於いて、いつか史実となるだろう。正直、興味はないけど一寸だけ思った。


 テレ朝『ロンドンハーツ』は「格付け女」最近の梨花師匠は研ナオコ化していると思う。確実に笑いの神が憑いている模様。しかし今日は青田“バブル”典子の一人舞台。元祖ギャグメーカーさとう珠緒すら日陰の存在へと追い遣ってしまう程。面白すぎ。

 逆に勿体無い。このポテンシャルを何故この番組以外で活かせないのか。彼女のブレーン(ってか、居るの?)は一体何をやっているんだ。