その情報に価値はあるのか

サンジ

 それでは歌っていただきましょう!平井堅さんで「肛門アナルを閉じて」
・・・正夢です、多分。な、どうもボクです。


 30巻で止まっていた『ワンピース』の続きを読み始めた。34巻読了。まだTVにも追いついていない。


 帰宅してテレ朝つけたらHステ。今日は選挙ネタの時に“キタ──(゜∀゜)──!!!!”の文字が。選挙なんて所詮そんなモンだという認識だということを言いたいのかも知れないが、ワイドショー選挙をワイドショーノリで扱おうというのが気に入らない。ワイドショー以下の番組のクセによ。

 ミカン箱の上で演説するおばさん(自民党公認)が映ってた。庶民派アピールのつもりなのか?でも被ってたサンバイザーにはシャネルのロゴマーク

 米国の台風報道。スーパー等では略奪行為が横行しているそうで。カメラが映すのは黒人のみ。本当にそうならそれでいいが、なんとなく作為的な匂いを感じなくもない。撮影時の映像に手を加えていなかったとして、初めからそういう人たちだけを(無意識的であったとしても)選んで映していたとしたら・・・なんて考えてしまう。

 報道番組に対し、ボクが(恐らく)平均以下の視聴や関心しか示さないのは、少なからず懐疑的であるからだ。つまり、完全なる客観的報道の存在を信じていないということ。

“○○(局名)的”程度のブランドイメージだけで世に出るようなジャーナリズムなんか、要らない。購入した牛肉や野菜がどういうルートで栽培・流通したのかが分かるようになってきている(まぁ、コレも完全に信用できるとは思っちゃいないが)ように、取材をした記者やカメラマンやディレクターやプロデューサーの氏名・思想等の“素性”がはっきりしていないと真の報道にはならないような気がする。妄想で記事を書く輩だっている時代なのだから。

 以前にも書いたが、こうした番組情報の補完的手段としてネットは非常に有用であると思う。番組HP上でリアルタイムにそのネタ(ニュース)に関わった人間の情報を掲示したらいい。個人情報?冗談ではない、報道即ちジャーナリズムに携わる人間は政治家以上に公人的な扱いでいいに決まってる。そういう覚悟がない人間は即刻辞して戴きたいものだ。

 話が逸れた。また、メディアの恐ろしさの真髄は反復にある。繰り返し同じシーンを見てしまうと、どうしても思考が偏重しがちになる。名刺を折り曲げたり握手を拒否するという行為は、マスコミにとっては格好のネタでしかなく、“その場”の空気感とは別の意味を付与され瞬く間に茶の間という大海に拡散する一滴となる。こうした、洗脳とは呼べないレヴェルであるが故に軽視されていることこそが、実は洗脳以上に恐ろしい、とさえ思っている次第。

 だいたい、それが本当に真実なのかをつきとめたいと思う程、他人に興味もないボクなワケで。いちいちこんなコトを考えてしまうのがヴァカらしいので時事問題にはなるべく関心を持たないように努めている。尚、TVの話が中心になってしまったのは、活字嫌い故に端から新聞なんぞ読む気がないからである。

 そんなワケで、確固たる理念の基に積極的に情報を遮断することは決して悪いコトではないと思う。だから、ボクが世の中の出来事に疎いからといって気安く「新聞くらい読め」とか言わないで欲しい。だって、ボクが本気になったら♪お〜はら♪きっと貴方をヴァカ扱いしてしまうだろうから(笑)