東京タワーズ

『“超・激戦士伝”』

 社内に配備されているデスクトップPCの大多数のスペックは
CPU:Celeron 667MHz(BIOS上の表示)
Mem:64MB
HDD:20GB(C:5GB/D:15GB)
OS:Windows 98SE

 まぁざっとこんな感じ。例外としては、プレスやデザイン室なんかに配備されているのはMac G4だったり、画像関係を扱う用にメモリがそれなりに積まれた98SEだったりはしている。

 ただ、これ以外にもリース会社から取り寄せた時期によって微妙に仕様が異なることが判明。倉庫の作業場にあったPCには64MBのメモリが2枚挿さってた。ニヤリ。

 そう。昨日私が居た、倉庫の作業場のPCである。帰宅する私のバッグの中にそのうちの1枚が入っていたのは蓋然以外のナニモノでもない。勝手に抜いたワケだが、まぁいいじゃないですか。

 本日出社後直ちに、ほぼ私の専用機と化しているデスクトップの空きスロットに挿入。かなり快適に動作するようになった。コンシューマ用PCでも高クロック化が進む一方の昨今だが、エンコード等の高負荷作業さえしなければCPUはこの程度でもまだまだイケる。低スペックPC補強のカギは、間違いなくメモリだと痛切に再認識した次第。あとは悪戯がバレなきゃいいだけさ。


アントニオ猪木新日本プロレス創立時の思い出を語る〜
アントニオ猪木です。え〜丁度・・・あれは東京・・・駅でですね。え〜・・・私どもが旗揚げをして、そしてそん時に、・・・日本プロレスの末期というかね、え〜坂口・・・そして星野勘太郎がたまたま、え〜彼らが東京駅から新幹線から降りてくる時に、私どもが今度はその・・・反対に乗っかって行く。丁度、そこですれ違ったんですが。その当時はもう雑誌や新聞でお互いを罵り合ってる時期でもあったんでね(笑)。え〜大変こう・・・ビックリしたような、お互いが顔をしておりましたが。ただそん時に私が率直な、あ〜事を坂口征二に言ったんですね。『え〜、君たち。今、ブラウン管に登場してる、俺たちはテレビに登場することができない。い〜・・・より多くの人たちが、あ〜・・・それを観てる訳だし、い〜・・・そういう意味でですね、え〜責任は非常に大きいんだぜと。え〜、ですから本当にいい試合をやって欲しいんだ』という、ま〜あの〜話をしたんです。え〜、それが・・・ま〜あの〜我々がその後にですね、坂口・猪木が合流するキッカケになったという・・・坂口征二から、え〜訊いたことがありますが。ま〜、あの〜本当に人間は素直であるというか、そん時に自分が素直に本当に自分の気持ちを、伝えた。え〜、それが今の新日本プロレスの、え〜大きな、あ〜元になっているという、これはあまり多くの人は知らないんじゃないかと思うんですが。」

 ・・・今から十数年前、当時浪人中&プロレスヴァカだった私が購入した『“超・激戦士伝”』というCDに収録されていたアントンの回想録トラックです。「・・・坂口征二から、え〜訊いたことがありますが。」がナンとも言えず可笑しい。自分の発言も伝聞じゃねぇかよ(笑)、という・・・坂口征二から、え〜訊いたことがありますが(このフレーズは率先して使っていきたいw)。

 このCD、大部分は選手の入場曲が収録されてるんだけど、他に「新日道場の音」というトラック(ダンベル関係がチャリチャリいう音とか、トレーニングしてる選手の「う゛〜」とか「あ゛ぁ〜」とかいう声が聴こえてきて大変キモい、一種のアンビエントテクノ)だとか、「藤波辰爾、若き超戦士たちへ捧ぐメッセージ」なんて演説(やっぱアントンに比べると面白味に欠けてしまう)も収録されていて、久しぶりに聴いても楽しい1枚。

 ただ、ラスト手前に収録されている「橋本真也“1・2・3・ダー!”1991.11.23後楽園ホールにて」。ダー!にいく前の、橋本選手らしい、人間味溢れるマイクパフォーマンスはもう永遠に生で聴くことはできないんだなと思ったら、泣けてきた。