真面目と不真面目の境界線上で彷徨う男

BENNIE K

 今日は坐って帰れた。俺の前に立ってるおねぇちゃんのジーパンの股間をサングラス越しに凝視。「透けろ〜透けろ〜」と念じながら、凝視。中国の思想家じゃねぇよ、ぎょうし。

 ナンというか、たった布切れ2枚(夏なんで毛糸パンツは流石にないだらう)隔てた向こうに女体の神秘と云う名のワンダーランドが潜んでいるってのは凄いことだなぁとしみじみ。まぁ、その布2枚が果てしなく厚かったりするワケで。哲学というか、達観しちゃったなぁ、俺。


〜ヤァ!ヤァ!ヤァ!妹からメールが来たよ〜
「Wordでインビンを使う方法を教えて」
・・・オブ・ジョイトイ?と一瞬思ったがそれだとどう考えても文意が破綻するワケで。調べてみたら、インビンというのはルビ(振り仮名)のことだった。へぇ。

 だからどうしたこのバカ者が!である。一般的な名称で検索するということができなければ、耳馴れない専門用語(?)など知っていても肝心の使用方法も解らぬようでは、そんなモン全くの無意味。実際、
word ルビ
word 振り仮名
ワード ルビ
ワード 振り仮名
等のキーワードで検索すれば丁寧な解説ページが簡単にHITするワケで。and検索(複数キーワードの間に半角スペースを挟む)だけ知ってれば素人レヴェルの検索など事足りる。

 ネットは、誤報も多いけれど、本質的には非常に安価な外部記憶装置のようなものだと何故認識できないのか。自分のアタマの中に全くないような知識も瞬時に引き寄せることができるのだぞよ。

「三人よればマッハ文朱」とはよく言ったものだが(文殊の知恵という説も)、億単位の人間の知識で溢れているのだよ、ネットという世界は。取り敢えず解説先のURLと、ロクに調べもせず質問ばかりするんじゃないという旨を書いて返信。兄妹愛だなぁ(嘘)


「Dreamland/BENNIE K
 コカコーラのCF曲。前作「サンライズ」と似たような曲調。いや、これはもはや彼女たち“らしさ(作風)”か。それだけサンライズは良く出来ていたと思うし、この曲もよろし。シングルは暫くこの路線でいいと思う。通勤中、二度聴きした唯一の曲。


 本日のもそうなんだが、最近はブログがプチエロ化しているという御意見を頂戴するんだ、個人的に(何故か倒置法)。いいんだよ。これが本当のボクなんだから。いや、一寸待った。本当のボクってナンですか。・・・違うな、ナ〜ンデ〜スカ〜?とナンデスカマン風に井伊直弼、もとい、言い直す。

 先日、大学時代の学友とメッセで話した。彼女はこのブログの読者でもあるのだが、大学時代のボクとブログでのボクは微妙に違うと言う。そうだなぁ、自分でもそう思うっス。というか、会社でのボク、チャットでのボク、実家でのボクも含め、どれもキャラは違うかも知れないなぁ。

 日常の様々な局面に於いて、最も的確な自分を演出しようという無意識とそれに応える器用さ(サーヴィス精神?)は、時として本来の自分自身を見失うことになる。

 彼女は、そんな私を「玉葱の芯のような男」だと言った。本気で探そうとしても見つからない、実体がないという意味では言いえて妙だなと感心。取り敢えずその時のメッセでは学友との会話をするバカキャラモードだったので「涙を誘う男、か?」と返しておいたのだが。

 勿論、どの自分も偽り無い自分ではあるが、それは同時に意識体としての絶対的(本質的)不在を証明しているのではないか、と思った。片手間に検索した程度ではあるが、こうした考えを哲学で実存主義というらしい。

 結局、実存主義構造主義の登場でアッサリとその本論を凌駕されてしまったんだそうだ。ナルホド、様々な局面でのキャラクターの使い分けは構造としての自分であり、だからそれらはやはり全て自分自身と考えてよいのだ。

 玉葱の話に戻る。芯を見つけようとするから見つからないのであって、薄皮の下を全て芯だと考えれば、容易に見つけることが出来る。玉葱とは、芯を食する野菜なんだ。それは、一部であり全てでもある。某錬金術マンガみたいだが。

 あとは、その構造を解くだけだ。階層状なのか、並列なのか、はたまたスパイラルなのか。答えは死ぬまでに見つけりゃいい。

 大学時代、講義で毎回寝ていた哲学に助けられるというのはナンとも皮肉なものだ。ま、そういうことでエロいコト書いてもい〜んです。