時は金也?

GSX

 起きたら午前9時。平日に休んだ朝は教育テレビに限る。が、チャンネルを合わせたところで寝てしまった。再び目覚めたのは午前10時くらいか。

 緒方賢一氏が映っていた。教育テレビは声優さんの顔出し番組が多いので、油断できない。大学の頃は、よく観ていたものだ。緒方氏は、おじさんだと思っていたら、いつの間にかおじいさんになっておられた。時の流れを感じていたらまた寝てしまった。起きたら正午だった。

 携帯電話が普及しきった昨今、時刻を知りたい“だけ”なら腕時計なんかするだけ無意味。しかも高価なモノを買うヤツはヴァカだ、なんて言われたら反論できない。

 じゃぁ、ナンで腕時計をするかというと、やはり機能性以外の部分が大きいからだろう。ひょっとしたら、腕時計に一番求められているのは正確な時刻なんかではなかったりするのではないだろうか。

 自分のステータスに相応しいモノを選ぶ人が居る一方で、身につけることによって自分にステータスを感じる人も居る。どっちが主流なのか、どっちが正道なのか、ボクにはわからない。どっちでもないしなぁ。

 また、つける人に似合っているコトと、その人の審美眼や思い入れ、どちらが優先されるべきかもわからない。

 例えばロレックス。それなりに素晴らしいブランドであると思うが、ボクの中ではヘンなイメージを払拭できずにいたりする。如何にも成金そうなオッサンの腕には、金無垢のロレックスがよく似合う。仮にそのオッサンがオーデマ・ピケが好きだったとしても、無理にでもロレックスをさせたい気持ちもまた、わかるでしょ(笑)

 最終的に腕時計とは、その人の好みを映し出す鏡のようなモノかも知れない。だから、“金額の問題ではない”のだ。しかしそれは、“高けりゃいいってモンじゃない”のと同時に、場合によっちゃ“譬え高くてもいい”ということでもあったりするから、「これだッ!」ってのが後者だったりするとタイヘンだ。


 INSECTと呼ばれる500シリーズのBlue Moonというモデルの造形美に心奪われ、購入したのがGSXとの出会い。INSECTという名前が示す通り、テーマは虫。ま、虫といっても所謂“昆虫”ではなくて三葉虫ですね。古代の浪漫を作品に昇華させた、ステンレス・スティール削り出しボディの曲線美は最強だと思っています。今でも。

 次に購入したのは、それの電池交換をしに新宿の直営店に行った時。デジタル表示にしか興味がないと思い込んでいた自分にガツンと一発喰らわせた、SMART(Simple Material ARTの略)シリーズのno,38というモデルが眼に飛び込んで来てしまい、その場で購入。こちらのテーマは20世紀半ば頃の体重計(!)。レトロフューチャーの香りがたまらない逸品だ。

 上部の小窓から“だいたいの時と分”が別々に見えるデザインは、慣れないと瞬時に判読不可能。秒針も先端に矢印のようなものはなく長さも同じ、どちらを読んだらいいのか解らない。説明書には「この時計では正確な時刻はわかりません。“心にゆとりのある方”向けです」みたいなコトが書かれていた。

なんという粋な姿勢。ここに惚れた。

 腕時計(というかGSX)をしなくなった理由は自身の特異体質及び怠慢にある。オレの汗はステンレス・スティールも溶かす(店員さんに「たまにそういう方がいらっしゃいますね」と言われた)。気がついた時は既に腐食していた。夏場など汗を掻いた日は、外した時にベルトのコマの内側をキチンを拭いておくべきだった。不断のセルフメンテを疎かにしてきた罰かも知れない。

 んで、腐食部分はギザギザになる。それでも痛みを我慢して使用していたが、手首が傷だらけになってしまい、断念。ベルトのコマだけなら容易に交換が効くのだが、既に製造中止になっているモデル故、本体部分だけはどうしようもない。

 たかが2万ナンボ(と敢えて言います)の腕時計、それまでも色々とある度に“累計したらもう1個新品が買える”程度の維持費も全く意に介さずにきた。そこはお金の問題ではないと思ったから。

 しかし、別の意味で金の問題ではない局面(モノに対する愛情の欠如という意味で)に遭遇してしまった訳で。もうこれが限界。そう思ったら、もう腕時計というアイデンティティーを誇示する気そのものが失せたのが1年一寸前。


 嗚呼、こんなコトを書いていたら、また腕時計を探してみたくなった自分が。勿論、反省を活かすとして、再び腕にハメたくなるようなモノは見つかるだろうか?そしてそれは自分の経済力で買えるモノだろうか?