久々に麦酒呑んだら美味かった

 部長と課長と私で、某大手百貨店の偉い人を軽く接待。先方が、どうしても新幹線で帰らなければならないということで軽めで済んだ。

“せったい”と聴くと岸谷五朗、寺脇 康文、山田幸伸の3人を思い出す。ピンと来た方もいるだろう。そう、SET隊(せったい)だ。

 三宅裕二主宰の劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)の有志で結成されたコント(?)トリオである。ま、昔のハナシですわ。山田さん以外は超出世しちゃったモンだなぁ。。。


 昨日の追記。色々と反響があり、愕いております。改めて言います。総理の参拝は当然のことですが、「他国にあれこれ言われる筋合いはない」ではなくて、あれこれ言わせない外交努力が足りてないんですよ。総理が靖国参拝に行くのと同じかそれ以上の重要性でもって世界への理解を求める行動を同時にとらねばならない、と思いました。

また、昨日は、うっかり紹介し忘れたんですが、友人Eくんの

「敗戦後のインドネシアに残留して、再び植民地化を狙ってきたオランダ軍に対し、現地インドネシア人と共にに戦った人がかなりいるんだよね。要は、あの戦争を欧米からのアジア解放という大義を信じて戦った人がいたということ。そのあたりの事を考慮しないで、靖国神社参拝はするなとかA級戦犯分祀すべきとかの議論はすべきではないと思う」(一部誤字等訂正)

という意見が全てだと思います。

 痛くない腹を探られるより不愉快なことはないでしょう。世界なんか気にしないというんなら、それは危険な独裁国家ですよね。日本は世界の中の日本を目指しているんじゃないんですかね。だからこそ

「罪を憎んで人を憎まずは中国の孔子の言葉ですよ」

 という総理の論調の稚拙さが恥ずかしいのです。孔子はその言葉の後に、諍いがあるんならまず言葉を正せ的なコトを言っていたと思います。この場合の言葉を正すとは、意思の疎通ができるような状態を作るという意味だったかな。これについてはswallow9氏が非常に的確なコメントをして下さいました。

 都合のいい部分だけの引用じゃ、挑発以外のナニモノでもないですよね。なんというか、こんな人を総理として参拝させる戦後日本の姿勢は、亡くなった方々に対しても失礼では?と思います。

 また、昨日は外交の視点で書いたので、

「日本国の総理は“譬え本当は靖国に興味がなかったとしても”ポーズで参拝すべきなんだな」

と極端な論調でしたが、戦没者に対する靖国参拝という意味ではありませんので念のため。

 ニューギニアから帰ってきて陛下から勲章を賜ったり、自費出版にて虚飾なき戦争の実態を書いている祖父を見て育ったからではありませんが、wannko0535氏のコメントの正しさが国際社会で認知されるような外交努力が必要だと思います。

 ただ、「靖国神社に参拝することは、我ら臣民の当然の義務であり、政治家、首相でも決して例外であってはいけない」と、いう氏の“義務”という半ば強制的ニュアンスが気になりますが。僕は、義務ではなくて、自然な心の表れであるべきだと思っておりますので。