未だに「君の父上がいけないのだよ」なんて言わせてる場合か

STARLESS2005-06-07

 激務は続く。明日の夜は接待決定。される方ならまだいいんだが。そんなこんなで帰宅中の電車内で、電話を会社に置いてきたコトに気づく。率直な感想は“ま、いっか”。困る程依存していないのが現状。

 帰宅後はアマゾンから届いたCDをiTunesにインポート。面倒だがこれやんなきゃ始まらないワケで。

 メールチェック。友人数人に返信。疲れてるので要点のみ。ブログのネタになりそうなのは、Eくんから靖国問題に関しての意見を求められたこと。

「配慮」というのは「顔色を窺う」という意味ではない。日本国の総理は“譬え本当は靖国に興味がなかったとしても”ポーズで参拝すべきなんだな。

 戦中の尊い屍の上でのうのうと胡坐を掻いてきた、戦後の人間のツケなんだろう。戦後も、舞台を国際外交に変えて、我が国は負け続けてきた結果だ。自らの無能さで“戦争責任で叩かれるキャラ”を定着させてしまったダケだ。

 TVで誰かが言ってたが、ドイツはケジメがつけられたから偉い、日本は全然ケジメをつけようとしていない、と思われたままになっていることがダメなんだ。と。

 なるほど。世界の中ではそういう風に見られてしまっているワケか。いい機会じゃないか。我が国の政治のヘッドは今こそしっかり靖国参拝だ。

 但し、世界に向って参拝を理解ないしは説得(流石に賛同は望めないだろうが)すべき。それが外交というものではないのか。自国民に向って参拝を正当化するに留まるならば、程度の差こそあれ、金正日と同じ。

 そこらヘンをカン違いしてるから「外交妨害だ」と怒るべき場面で「内政干渉だ」なんて笑えないギャグを飛ばしてしまうのだろう。

 最低限、「ま、向こうも“立場上抗議をしなきゃいけない”んだろうから仕方ないかな」と我々日本国民が思える程度までもっていかなくてはいけない。

 外交というのは、掲示板等での高度な論戦と似ている。お互いがそれらりに論客であり、尚且つどうしたって水掛け論にしかならない場合を考えよう。相手より自分の正当性を主張したい、優位に展開したいと思うなら、配慮すべきは寧ろ第三者の視線に対して。

 ヘタに信念を曲げず、言葉を選び、第三者から相手に対する「それはないんじゃない」とか「ま、解らんでもないな」を引き出す。譬え理屈だけで勝ったとしても、野次馬を味方につけられなければ試合に勝って勝負に負けたことになる。

 国際世論とどう対峙(できれば“利用”)するか。レスポンシビリティではなくアカウンタビリティだよ。