大雨じゃ。蒸れて参らう。

永作博美

 社内で、その存在を忘れられていたヴィニイルの傘を発見。これで、多い日も安心と思った阿呆です。傘さしててもビショ濡れ。電車の中、実に不快でしたぬぇ(“ね”の強調表現)。そんな時、ラルクの「New World」が聴こえてきた。

 俺の中でL’Arc〜en〜Cielというバンドの曲は、意外にも賞味期限が長い。未だに「New World」はiPod shuffleの中の固定枠(新曲関連数曲のみ。これ以外はランダム転送)にエントリーされている。実に、3日に1度は聴いている計算になる。

 このバンドの存在そのものは、高校生の頃から知っている(10年以上前になりますね。当時はまだインディーズだった)のだが、メンバーの名前はハイドぐらいしか知らない。ま、俺に限ってはこういうケースは多い(Berryz工房は1人も知らん)のだが。

 彼らの曲を聴く(アルバムまでは買わないけど)ようになったのは、社会人になって、90年代以降の歌謡ロックを真面目に聴こうと思ってからだ。どうしてプロデューサーが岡野ハジメ氏だと早々に気づかなかったのかという呵責もある。大好きなThe WiLLARDにDEAD END、岡野プロデュースのアルバムに限ってよく聴いたじゃないか、俺。

 DEAD ENDについては、ハイド自身が強く影響を受けたことを語っている。なんか、当時の俺はそれが逆に面白くなかったっぽい。数年前に出たウイラードの初期音源集買ったら、ライナーを清春(DOLCE & GABBANAのジャケットをレディースで着れる己のスタイルを自慢する人。昔、黒夢とかいうバンドでメジャーになった途端にソフト路線に転換した、機をみるに敏な人。インディーズの頃はアルバムに「生きていた中絶児・・・」なんてタイトルつけてたのにね)が書いてた時くらい釈然としない感じで。

 そんなL’Arc〜en〜Cielの曲は、昨今の歌謡ロックバンドの中ではやたらベースラインが凝っている部類だろう。レコーディングでは岡野氏が弾いているという、実しやかな噂を未だに信じてしまう程に。

 それにしても、あまり表に出てこない人ですね。彼のプレーヤー及びプロデューサー気質については、昔、どっかの音楽誌で「天才的であるが故の“カン違いフュージョン志向”にドップリ漬かることもなく、キッチリと職人の仕事に留まることができる、本当の才人」ぐらいのことを書かれてましたね。

 また、プロデューサーとしての自分を前面に出さないこと(つんくとの対比ではないと思います。それじゃ次元が低すぎますから。多分、対象は佐久間正英氏かと)については「自民党院政を布いていた頃の小沢一郎のような完璧さ」的評価(多分、褒めてますw)で、巧いコトいうなぁって思った記憶がありますね。いや、ヴィジュアルじゃないです念のため。


「ナイナイサイズ」に永作博美嬢。老けないなぁ、この人は。大袈裟かも知れないが、ribbon時代と全く変わっていない気がする。かわいい。俺の中の“好きな顔”の1つ(全部で幾つあるかはヒミツ)。