我と彼とを隔てる壁には、”愛”の文字

詩人の血

「なんだ、コイツ、喧嘩売ってンのか?」

 帰宅中、昨日のswallow9氏からのコメントを読んで一瞬思った。私を揶揄するかのような、妙に棘のある言い方、と捻くれ者の私なら容易に解釈できなくも、ない。取り敢えずやんわりといなすようなコメントを返すも、投稿ボタンを押した瞬間、あることに気づき猛省。

札びらきるのは寧ろ大人げありだろ、とかそういうコトじゃなくて。

 真顔で反論するなら、まぁそれなりに算段はある。私が落札した(実際は代理入札なので、落札させた、のだが)服部祐民子さんのCDは、4枚中1枚が定価を若干超えた程度であり、4枚の合計金額は送料込みでも定価を下回っている。つまり無闇に“札びらきって”いるワケではないということ。また、ここでいう札は万札でないという事実の情けなさ。

 現在、服部さんの“公式”HPでもこの4作品は再販予定もなく入手困難なので、聴きたい人は中古屋やネットオークションを利用するように的なアドバイスが提示されているということ。つまり、現在選択できるオフィシャルな入手方法の範疇(相場含)であるということ。

 最後に、それがたとえ詭弁や形骸であったにしろ、“オークション”と銘打っている以上、需要と供給のヴァランスで価格が上昇することの方が寧ろ蓋然だということ。少なくとも私は株と大差ないと思っている。まぁ、ああいう言われようは堀江社長の気分を味わえたからいいかなと思うが。随分貧相な堀江社長扱いだな。

 とまぁ、ここまで反論を組み立ててハっとする私。株を引き合いに出すあたりがまさにそうで、私が考えているヤフオクの利用方法は完全に転売が前提に(但し、それなりに仁義は通そうと思っているので落札したIDと出品するIDを別にしたり、落札後、数ヶ月寝かせてから出品させたりはしています)なっている。

 私が思っているヤフオク。それは電車を乗り継いで行かねばならないので基本的には少々割高になってしまうが、マニアックな楽曲や新譜に容易にありつけるレンタル屋程度の認識、なのだ。しかも、場合によっては店員が間違って思いっきり釣銭を多く渡してくれる場合もあるレンタル屋、みたいな。

 レンタル屋で借りたCDを、私的利用の範囲で複製(ダビングやエンコード含)するのは実質的にはもはや常識であり、非常識なのはそうした複製品を売ったりP2Pで流すことぐらいのものだ。

しかし、これが大きな間違い。

 PCを触るようになってからの私にとって、CDは単に“情報の刻まれた円盤”に成り下がっていた。エンコードしてMP3を作成してしまえば寧ろ不要。だからたとえ自分が札びらきって落札したとして、他人に札びらきらせて落札させれば、結果的に私は札びらきっていないという屁理屈も成立しようぞ、なんどと考える始末。


 さてここで、改めてswallow9氏から戴いたコメントを咀嚼してみる。彼の発言には転売が前提にはなっていないのがよく解り、それはそのままアーティストへの愛であると解釈できる。本当に愛があるなら店で買えよって話だが、そうじゃない。飽く迄も彼は店頭にないものを適正価格で入手するためにヤフオクを利用しているのだ(と感じた)。

 安月給故、こうでもしなけりゃ多くの楽曲に触れられないのも事実。しかし、やはり恥じらいというか、中古購入やましてその転売なんて、アーティストに対して申し訳ないと思う気持ちだけは持っていなければいけないなと実感させられた次第。いや、冗談抜きで。swallow9氏、大事なコトを気づかせてくれてありがとうございました。


 読者諸氏に誤解があるといけないので断言しておくが、コレは厭味や慇懃で書いてるワケじゃない。ってかそういう目的ならもっと回りくどくていや〜な書き方しますから、私(笑)


 そうそう、昨日の結果は落札成功でした。こちらはCD4枚一括なのでバラで出品されてる物件に落札かけるより送料も安くあがるのでいい感じ。ま、バラでも相場は送料込みで定価よりは安いけど。因みに「詩人の血」という三人組です。

i love`LOVE GENERATION'

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