良心(米粒以下だけど)の呵責に耐えかねて

トンデラハウスの大冒険

 今日は謝罪です。


 私の生まれ育った福井県鯖江市はエンターテインメントの極北。なんせ民放が2局(フジ系と日テレ系)。「トンデラハウスの大冒険」ですらそんなド田舎のガキには貴重なアニメーション。他に観るモンないから結構観たかも。

 教会での牧師の説教の後、信者がお布施。超貧乏な人がジャリ銭寄付。続いて裕福なおっさんが豪快に金貨1袋寄付。おっさんに牧師が言う。
「あの方は”全財産”を寄付して下さいました。」
「じゃあなんですか、私は農場と家畜全てを寄付しなければあの男と同じだけの信仰心がないとおっしゃるのですか!」

 この時、「貴方の寄付は寄付である前に自己満足なただの偽善だ」っておっさんのお布施突っぱねて言うってんなら、基督教ってのは他教ながら天晴とかやっぱり心意気ってのは大事だなぁとか思うことができて、良い大人への第一歩に繋がっていただろう。が、牧師は貰うモン貰っといてこんな暴言吐くんだから失礼なヤツだよ全く。ここで、母に夕飯を食むよう言われたので続きを知らないままだが、子供ながらに私の得た教訓
”被評価者は評価者の独善的な基準には逆らえない”

 中学時代。H先生という国語教師の授業。教材の話の感想を求められたオレは、ギャグのつもりで「ヒューマニズムに満ちた主人公の行動が〜」みたいなフレーズを過剰に入れまくって大絶賛。先生もこのお遊びにノってくれているとカン違いしてしまったのは当時のオレの不徳の致すトコロ。

 先生のノリノリ具合が可笑しくて仕方なかったので、クラスの友人たちに入れたら喜ばれるフレーズを伝授&入れるよう提案。数ヵ月後には県内の教育委員会のお偉方が視察する授業になっていた。ここでもまだヴァカなオレは気づかなかった。。。

 高校に入学して最初の国語の課題は「芥川龍之介羅生門」の読書感想文。読書嫌いは当時からの筋金入り故、莫迦正直に読んで内容について書くのはやっぱしウザい。パラパラと頁を捲ってたら”烏の糞が〜”みたいな感じのフレーズ(正確に覚えてるかってぇの)があったので、やはりギャグのつもりで
”漆黒の闇に聳える羅生門に烏の糞。ここに黒と白という最も相反する色彩のコントラストで場面を演出をするあたりに芥川という作家の美的感性が最も色濃く現れており〜”
みたいな感じのコト(実際はもっとカタイ文体だったと思う)を書いてやったらS藤という国語教諭のじいさんから早速呼び出し。あぁ、ふざけて書くとやっぱ文章になんか出ちゃうのかなぁ。なんて思っていたら
「これは本当にキミが書いたのかね?」
「誰かの評論(・・・美術系の評論なら私も知らないものが多いだろうし、とかブツブツ言ってた)を写したんじゃないのか?」
とか予想外の質問攻め。結局彼の出した結論は
「長いこと教師やってるが、中学卒業したばかりでこんな論文みたいなものを書いた生徒はいないよ」
んなコト言われても。「アンタに笑いを解する心がないだけだよ」なんて言えなかったあの頃。逆に凹んだ。ここで得た教訓は、
”糞真面目なヒトには勝てない”

 国語教育でいつも納得がいかないのは、「このときの主人公の考えを述べよ」的問題。そんなの作者しかわかんねぇじゃん。作者に訊いたとしても本心語ってくれたって保証あんのかよ、ヴァカ。フェ○○オされてる時の頭ン中がいつも「気持ちいい」とか「イキそう」でしかないような文部科学省の小役人様の思いつきそうなコトだぁね。因みに模範解答を少々(人によっては全部が正解)
「今、煙草吸ったら怒られるかなぁ」
「長宗我部氏ってドコの大名だっけか」
「ラジオ体操って結構いい曲だよな」
安土城ってシャア専用っていうよりレッドショルダーに近いよな」
こんな感じで、せめて複数回答を採用しなさいよ。ってか「文部科学省が推察した、このときの主人公の考えを答えよ」に書き換え必至。書き換えはディスクシステム書き換え機のある全国の玩具店で。

 このままだと人口が増え過ぎて地球が滅んじゃうよ〜ってマジに思ってたガキの頃。ニュースで大勢の人が亡くなる事故の報道観てガッツポーズしてたのはヒミツ。表向きは悲壮感醸し出さなきゃいけないことも知ってるお利口さん。自分とかその周囲の人たちとか、要はオレの人生に関係なけりゃ他人がど〜なろうと知ったこっちゃない。が本性。本当のいい子にはなれません。

 今でもそんなに変わってないかも。オレは”うまいコト言い”たくて文章を書く。政治も宗教も戦争もPCもバカも妄想も全て並列に扱っているつもり。その日その日でうまいコト言えそうなネタとして選定しているだけで、そこに正義感や実際の主義主張は殆どないです。一見、マジなコト書いてあるみたいでも、鼻糞穿りながら喰いながら書いてる可能性大。真面目クンが親身になって必死こいて考えた道徳の教科書的発言を、個人的にはンなコトどうでもいいとしか思ってないオレが真っ向から論破・凌駕する面白さ・・・そういう捻くれた快感に浸って生きてきたもので。”可哀想な人”はヒール志願のオレへの賛辞さ。

 ただ、最近ちょっぴり罪悪感が出てきたんで告白しておきました。マジ申し訳なくって。。。よぉく読んで下さい。僕の文章は悪意に満ち満ちておりますので。まぁ、マジレス風ネタレスは歓迎しますけど。


〜雑誌を買う時間なくて出張の飛行機内で暇潰しに考えたコト〜
歌うのは
個人の自由と 言うけれど
歌詞を知らない あんたナニ人(ジッタリンジン)
 突然だが君が代問題。歌詞の意味すら知らないクセに「歌うかどうかは個人の自由」みたいな発言するのは格好悪いですよ。一部の若いヒトとかバカ教員さんたち。さざれ石が本当に巌になるのか観察しつづけて一生を棒に振る、の刑。


 格好悪いといえば。昔々の前園真聖辰吉丈一郎を起用した、「いじめ、カッコ悪い」のAC広告。喩え虚無感が漂いまくろうが、「いじめはいけないことです」ってここは正論で行くべきだったんじゃないか。いじめを格好いいとか悪いという価値観で啓蒙しようとした底の浅さに失笑。広告そのものがカッコ良けりゃ成立したんだろうが。


 オレが「いやぁ、本は読まないんですよねぇ」と言うと頭ごなしにヴァカ扱いするヒト。読書家=偉いって図式が理解不能。オレの廻りでも読書家で、且つ流石だなって思える人間は数人いる。要は、クレバーな人は沢山読書する権利があるもんだなぁって思うってだけ。

 大体、前述のような輩は小説を読むことが目的になっている場合が多い。手段じゃないなんて悲しいだけだよねぇ。読書って読んだ後に自分の頭の中で色々考えて初めて成立するんじゃねぇの。だからって咀嚼する知能もねぇのに文字の羅列を眼で追っても時間の無駄。奉仕活動でもやった方が豊かな人生になると思いますよ。なんて読書しないオレに言われる屈辱感は如何かな。


 あ〜、すいません。今日も鼻糞穿りながら喰いながら書きました。