みんな、なかよく

The Stone Roses

 先ずは今更らしいが、白川事変。へぇこんな面白いコトがあったのね。本人は相当ヤる気らしいが、結局は庶民の立場になってみなけりゃ何も判らぬ、元お飾りの国家公安委員長っぷりのカミングアウトじゃん。水戸黄門とか暴れん坊将軍的シチュエーション(「この紋所が〜」とか「余の顔忘れたか?」ってヤツ)になっちゃったからってテンション上がってるだけじゃねぇの。と言ってみる黒死病ペスト


 嫌いな事象について語るというのは、人間関係に於いて最もリスキーな行為だ。人の好みはそれぞれにあり、己が考える以上の・・・ほぼ無限のヴァリエーションが在る。アレが嫌いならコレも嫌いだよね?なんて安易な推論は、会話のみならず友情の破綻も招くことがある、往々に。

 斯く云う私も学生の頃、「日テレの○○って女子アナなんだけど・・・」という知人の言葉を中途で遮り、
「おぅ、アイツ優等生面しやがって糞ムカつくよな。だいたい日テレってだけで充分最悪だし。どうせ裏では○○と×××しまくってるクセによ・・・で、ソイツがどうしたって?」
「いや、ボクのイトコ。。。」
「・・・・」

 以後彼とはまともに眼を見て会話をした覚えがない。若かったこともあり、プリンストンガの異名をとる程に結構なトンガリキッズだったから仕方ないとしても、やはり今思うと迂闊だったと少なからず反省はしている。Aという話題で気の合う人間が、同様にBやCでも好みが一致するとは限らないと云う、至極当然の理を身をもって理解した(ついでに好戦的な性格をなんとかしようとした)のはその時だ。

 同時に、嫌いなコトについて言及するより、好きなコトだけ語っていればそういう目に遭う確立が格段に低くなることに気づく。当たり前だが、独断と偏見で嫌悪すべき対象を語って得られるのは「オレもそれ嫌いなんスよ」という一握りの賛同よりも「なんでそんな酷いコト言うんですか!」という非難が殆ど。

 若い頃なら迷わず前者を選んだりしてきたが、オトナになってしまうとソレもどうかと思ったりして、なかなか難しい。大体、全ての趣向に於いて完全に好みが一致する人間などまず居ないのだ。俺にとってのIT有史以前・・・元々リアルで半分以上の思考や趣向を共有できる人間を複数人知っているコトの方が奇蹟かも知れない。そうはいっても場合によっては敢えて闘わねばならないこともあるだろうから、せめて普段はいい人で遺体DEATHね。

「楽しいことだけを数珠のように紡いで生きていられるはずがないんだよ」という人(碇シンジ)が居る。「世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ口をつぐんで孤独に暮らせ」という人(草薙素子)も居る。”楽しいことだけ紡いだ数珠を、耳と目を閉じ口も噤んだはいいが一方でパックリ開きっぱなしの肛門から出し入れして悦に入ってしまったかつてのオレの立場は?”と言いたい。抜け出すの大変だったんだから、まぉう。


 前述した事と微妙に被るが、アメリカと宗教戦争。解らず屋が多いので、音楽の話で喩える。自分が神と崇めるアーティストの音が、他人にとってノイズでしかないことは意外と多い。そんなコト頭ン中じゃ皆解ってる。だからって「そんなの音楽じゃねぇ」って革めて断言されたらキレるだろ、宴席じゃなくたって。そんダケの話。

 振りかぶった拳には双方とも”自称正義”の文字。だから終わらないし、そもそも異教徒がどうこう言うコト自体がナンセンス。下手すると木乃伊採りが木乃伊にも成りかねない。全世界共通の”絶対的”善とか惡なんて規範は存在しないのさ。なんとなくソレっぽいものが辛うじてあるってだけで。どっちかが消えなきゃ収まらないんならトコトンやれ。但し飽く迄も当事者(自己の正義を信じ、自発的に参戦している輩)同士でな。無責任な発言とか言わんで欲しい。こちとら少なくともアンタらの10倍以上は考えてるんだから。とはいえ、オレの自称正論もヤツラにとっては数多ある邪教徒の戯言に過ぎないんだろう。


何ぃ!? 寝癖のっ・・・この恍けた寝癖青年が世界を変えるというのカッ!?

 如何にも。其の青年、名をイアン・ブラウンと申す。また、世を揺さぶるはイアン1人の所業に非ず。其の仲間達(ジョン・スクワイア , マニ , レニ)との共同作業に於いて也。彼らをThe Stone Rosesと人の云ふ。

 いやぁ、マジイイっスよコレ。昨日届いたヤツなんだけど、実際観るまで信じられなかったっスよ。まさかLIVEのDVDが発売されてた、なんてね。個人的にはジョンのギターとレニのドラムが好き過ぎ。解散はショックだった。が、だからってOasisには行けなかったあの頃(オアシズは好きだったが)。なんでわざわざ本家を超えられない模倣犯の音聴かにゃならんのよ。あぁ、また敵作ったなぁ。。。