吉田光男の意思を継ぐ者へ

鬼束/長州

 だめだ、何故か日曜は眠い。午前中に一旦は起きたものの、あまりの眠さに二度寝。あぁ、また何もしないうちに夜を迎えてしまったか。。。


〜育つ雑草/鬼束ちひろ
 彼女の歌声を初めて耳にしたのは、幸運にもデビュー曲の「シャイン」だった。”椅子を蹴り倒し席を立てる日を・・・”という歌詞のストレートさもそうだが、何よりもその”怒り”の感情剥き出しさ加減に圧倒されてしまった。当時、私の中で憤怒を具現化してみせられる人間の代表が長州力。そして、その系譜にあるのは小島聡だとばかり思っていたが、ひょっとしたらプロレス界の外に・・・などと考え始めた時期である。

 程なくして彼女は、「月光」のヒットにより世間の脚光を浴びることになる。が、このあたりになると”怒り”は”苛立ち”へと変化していた。この時、私は彼女が一発屋ではないと同時に、やはり彼女こそがメンタル面での長州力を継ぐ者であると確信した。つまり、彼女にとってこの曲は彼にとっての”噛ませ犬発言”なのだ、と。

 私の言う”怒り”とは文字通り怒張の瞬間であり、長州で言うとリキラリアットインパクトの瞬間を示す。怒りMAX・・・しかしこれは、逆に言うと底が露呈してしまっており、これ以上の発展性が望めない状態であるとも言えなくもない。

 これに対し”苛立ち”は、怒りMAXへと続く前段階。しかし、その後に控える怒張の瞬間を夢想する余地を残す、という意味では実際の結末以上の期待値を一時的に与えてくれる、謂わば”至福の時間”である。長州でいうと試合開始直後のストンピングの際に出る怒声であり、リキラリアットへいく直前に腕をグルグル廻す所作であるといえる。

 貴方がプロレスファンなら解る筈だ。本当にゾクゾクするのはどちらの場面なのか、が。

 鬼束ちひろは、その作品中に於いては「月光」以来ずっと苛立っているかのような印象を受ける。苛立っている間は及第点の楽曲を発表し続けられることを知っているかのように。しかし、最近私は思うのだ。本当はもう憤怒することを忘れてしまっているのではないのかと。

 長州が健在振りを誇示した今、鬼束よ、お前も怒れ。苛立ちを怒張に昇華させ、怒れよ、鬼束よ!