なんだ、無血解決じゃなかったのか。

佐々淳行

 以前から観ようと思っていた、「光る雨 〜連合赤軍事件〜」と「突入せよ!”あさま山荘”事件」を連続鑑賞。予め知っていた訳ではなかったが、時系列でいくと「光る〜」は連合赤軍結成からあさま山荘事件を起こすまでの話(正確にはちょっと違うんだけど)で、「突入〜」は事件勃発から鎮圧するまでの話。ただ、前者は赤軍派、後者は警察(国家権力)の立場からしか描かれておらず、双方にとっての対立項は作品中ではぼやけたままだ。

 「光る〜」は立松和平の原作を監督の高橋伴明が解体・再構築して全くの別物にしてしまった作品。物語は、立松和平著「光る雨」の映画を撮ることになった監督(大杉漣)と、監督指名でメイキング版の監督をすることになった若手監督(萩原聖人)の対面から始まるという現代劇であり劇中劇。

 オーディション(元アイドルの設定の高橋かおりや元お笑い芸人でストリートパフォーマーの設定の山本太郎らが受けに来ている)で出演者を選んだりするシーン等を挿入することで、実際はどちらも虚構であるにもかかわらず、より劇中劇(設定は事件当時)のフィクション性が高まるので、劇(設定は現代であり、この映画そのもの)は擬似的なリアリティを持ち、あたかもドキュメンタリーであるかのような錯覚を与える。

 役者に、劇の中の役として劇中劇の役についての意見・感想を語らせるという(ここでメイキングという設定が活かされている)発想はなかなか興味深い。が、現代の若者に当時の若者の気分(思想とか理念とかいうような崇高なものではないにもかかわらず)を語らせるのは空々しいものだ。
「確かに、暴力という手段はいけないことだけど、革命を起こそう、世の中を変えたいって気持ちはなんだかわかるなぁ」って。。。
画面にリアリティを持たせてしまったせいで、言葉が空虚になっているような気がした。

 面白いと思ったのは、撮影半ばで監督が失踪(当時半端な学生運動家だった自分と向き合えず)し、このままでは映画はお蔵入りというところで、メイキングを録っていた若手監督が本編の監督になるというストーリー展開(勿論、若手監督は苦悩しつつ映画を完成させる)。

 全共闘世代が未だ払拭できずにいる思想的思念(怨念?)を若い世代が解釈するというのはこれまたなんとも無理があるような・・・。いっそ「解釈」じゃなくて「介錯」してやれっての。

 といった感じで映画の多層的な構造とかは面白かったんだけど、劇中劇の内容・・・つまり連合赤軍内ゲバの話は正直ノンポリの私には理解不能自己批判とか総括とかって、単に現実性と乖離し過ぎた理想論の奇形的産物。党員の自己批判を論破していくリーダーにしても、理路整然としているようでいて実は難しい語彙を羅列してるだけの稚拙な屁理屈に過ぎない。あと、ラストで立松和平の脱力ナレーションは勘弁して下さい。

 興味深いのは、本当の監督(笑)である高橋伴明の本作とは全く関係ないインタビューを見つけたのだが、学生時代のことについてバリバリの活動家っぽいことを言ってた。大杉漣が演じた、失踪してしまう監督は高橋本人とダブらせているとか、劇中劇シーンの盛り上がるところですぐに「はいカット〜!」って劇に引き戻していたのは、監督の照れ隠し(ゆうきまさみとかがアツいシーンに無意味なコマを挿入するような感じ)かと思った俺は穿っているのか(笑)


 これに対し、「突入〜」は完全にユルい娯楽作。ご丁寧に「これはフィクフョンです。事実と同じ名前があったとしても仮名です」みたいなテロップが冒頭に。んで、本来の悪役である赤軍メンバーすら殆ど登場しない中、主役は役所広司演じる正義のヒーロー佐々淳行(爆)

 しかも、佐々さんは連合赤軍を悪役にしておくだけでは飽き足らず、面子の立て合いでもめる長野県警と本庁の上層部も悪役にしてしまってます。すごいですよ、こんな提灯映画ってアリかよ。監督は佐々氏から幾らか貰ってるんじゃねぇのって思っちゃうですよ。もう、コレを観たらインディペンデンスデイの米国人とか笑えませんから、マジ。

 あと、全員が黒系のジャンパーを着用している中、「忘れてきました」という設定で1人だけ白いジャンパーを着て、役所広司にピッタリ張り付いて目立ちまくっている遊人(エロマンガ家の遊人とは別人です)という役者さんは原田監督の息子さんです。あ〜、ヤダヤダこういうの。