負けるな新聞ここにあり(読み人新聞知らず)

 ヒヨコの雄雌鑑定と並んで難しいとされる、栗山千明栗山英樹の判別が出来るようになった、どうもボクです。キミたち凡人とはデキが違うのだよ。ん?


「ブログは新聞を殺すのか」なんてセンセーショナルな見出しにつられて購入したはいいが、活字読むのが面倒なので先週から放置してあった『ニューズウィーク日本版』を一寸だけ読んでみる。ってか、この薄っぺらさ加減で400円はボッタクリじゃん。週アスより高いんだぜ、おい。

 ここで(ブログに殺される、と)言われている“新聞”ってのは飽く迄も紙媒体であり、非常に前時代的で狭義なメディアを指していると考えると解り易い。以下は見出しとほんの少しだけ読んだ視点で好き勝手書いているので、『ニューズウィーク日本版』の内容とはあんまり関係なくなってると思います。きっと凄く素晴らしい内容なんでしょう。じゃなきゃ400円は(以下略)

 ネットによって個人でも情報発信が容易になった昨今。速報(状況報道)関係ならば、確かに(個人・団体問わず)ネットをチェックした方が効率がよさそうだ。ボク自身も新聞は購読していない。ってか元々してないんだけど(笑)

 ってか、人々の興味は即効性を重要視してばかりじゃない筈。既にそうなりつつあるが、ブロガーはニュースや世相について(速報的であるなしに拘らず)自論を展開するワケで。

 であれば、本当に紙媒体の新聞が抹殺されてしまうのか、甚だ疑問である。新聞(も紙媒体やテレビ等IT有史以前のメディア)が死ぬコトはないだろう。

 記事の内容さえ素晴らしければ、「見出しはネット、事象の解説は新聞で」という情報摂取の選択肢だって充分アリでしょ。全然互角に斗える。だって、人々が最終的に求めるものは出来事よりも誰かの感想なのだから。

 そういえば、
「ブログが齎すのは一億総批評家時代である」
とかナントカ唱えた人がいたという記憶があるが、これは単に“自称”批評家が蔓延するという意味だと思う。

 どうせそのうち淘汰されるでしょ。ってか、小林秀雄級の批評家がワンサカワンサ(♪レナウン娘♪と『ワンサくん』のどちらを連想しても可)出てくるかっての。

 歴史は繰り返されるというかナンというか、家庭にテレビが進出してきた頃(40年ぐらい前かな?)、故:大宅壮一氏が「一億総白痴化」なんて事を言ったそうだが、今となっては的外れ。

 あるところまでは全くその通りだったと思うが、一億総白痴化が完了してしまった時点で、それは既にコモディティ化してしまっているワケだから(笑)

個人的には
莫迦なんで勘弁して下さい」
とか理論的に言えなくなってるってのが、至極辛いところ。