結局のところ、その欲求の深さは当人にしか解らない

今日はPCと接続してるPHSの調子がイマイチなので文章だけです。悪しからず。

昨日のブログ。「あばれ」といえば?というシエラ氏の問いかけ(彼は“はっちゃく”でした。なるほど。何代目の方だらうw)。ボク的には「暴れ医者 嵐山」ですね。昔の時代劇です。確か萬屋錦之介様だったと記憶しています。オープニングで屏風か何かを突き破って登場する錦之介様が最強にかっこいいのですよ。


始発の“あずさ”で松本。船橋からだと3時間半。これだから新幹線の通ってないところは嫌だ。打ち合わせをして“しなの”に2時間乗って名古屋へ。

明日は早朝から栄の○越にいかねばならんので、ここで宿泊・・・したいのだが、1泊1万円以上のセレヴ(?)なお部屋を除いてホテルはどこも満室。

いやマジで、予め部屋を押さえていて仲介してくれるようなところも当たってみたが、そこですら「愛知県内はもうキビシイです」なんていう始末。これが万博効果ってヤツかぁ。仕方ないので四日市まで行ってホテルに。交通費込みでも安いお宿に。お陰で明日も5起きでやんす(泣)


移動中、ktsuodoriさんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/ktsuodori/20050518)を読み、色々考えさせられた。美容整形とその倫理観。先にコメントを寄せていた方々の意見等、なかなか興味深いと思った。

ボクは基本的に天邪鬼なので、昼間コメントさせて戴いた「実は対外的に整形を欲しているワケではない」という部分とはまた別の側面で、何故歓迎されないのかという見地から、論理的且つ私らしい切り口で考察してみたいと思う。

一般的に“不自然”という言葉で語られがちな整形だが、不自然ってなんだろう、と改めて考えてみる。結局のところ、皆が感じている不自然感の根底にあるのは、”医術に頼っている”ということなのだろう。

一般的な感情として、アイプチはいいけど、プチ整形としての二重はけしからん、とよく言われる。が、これがよくワカラン私。一緒じゃん。じゃぁさ、

整形で二重にしただけでナチュラルメイクの人

整形してないけど物凄いメイクテクで素顔とは全然違う顔の人

果たしてどっちが原型を留めているのか?遺伝云々という見地からみても、どう考えたって後者の方がより不自然だと感じるのは私だけだろうか。

事故で顔がグチャグチャになった人に、事故にあったのもあなたの運命だから、整形なんてしないでこの先もその顔で暮らしなさい、それが自然というものだよ。なんて言えない。

じゃぁ、自然ってナンだ?ボクは、腋毛剃らない、化粧しないようなナチュラリストの女性よりキレイにしてる女性がいい。ブスはブスらしく地味にするのが自然なのか?ボクは「あたしブスだからせめて明るくオシャレに」っていう人の方が好感が持てる。

んで、これもまた一般論だけど、「女(男)は外見より中身」なんて言うヤツに限って外見にうるさかったりしません?整形なんてもってのほか!なんて平気で言うのね(笑)

化粧も整形もお洒落も、変身願望という意味じゃ大差ない。要は程度の問題なんじゃないかな。せめて原型は留めて下さいな。ま、現在の自分を鑑みても、身長に対して明らかに“不自然”な体重なので、自然にしてろ、なんて人様に言う資格すらないワケで(笑)。同じ穴の狢ですわ。